ARAKAN LADIESによる手づくり作品のお部屋

 Arakan Art 2014

Arakan Lady の雑記帳

12月14日

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鉄瓶

今年も残すところわずかとなりました。先日、38年ぶりに友人と会いました。彼女との待ち合わせは、何と雷門前。人が多くて探すのに一苦労。時間になっても現れず、携帯で連絡をとってみたら、私達の後ろにマスクをして帽子をかぶった女性が現れました。一同大笑いですよ。38年ぶりに会うのにマスクに帽子はないでしょ。しかし、久しぶりに会い楽しい時間を過ごせました。彼女は、この雑踏の中でもスケッチをして、いい作品に仕上げていました。私なら出来ない・・・。勇気ある行動に感服です。(笑)
さて美の壺では鉄瓶の特集でした。実家にも鉄瓶があり、夏以外はいつも囲炉裏でお湯が湧いてました。鉄瓶で沸かしたお湯はほんとうに美味しいのです。ステンレスのやかんで沸かしたお湯とは違って、鉄瓶で入れたコーヒーやお茶は格別です。私は、鉄瓶のお湯の音が大好きです。シュシュシュ。冬の寒い時期はなんとも暖かい気持ちにさせてくれます。今ではその鉄瓶も炭を入れてくれる主をなくし悲しげです。今年一年も何とか無事過ごすことができました。この一年間、飽きずに読んでくださった方々、ありがとうございました。今年最後のアラカンアートです。来年もよろしくお願い致します。皆様良いお年をお迎えください。

11月18日

林雅子監修「障子の本」

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障子

障子の美しさは、光と影の織りなす景色ではないだろうか。障子に映る景色は時間とともに変化していく。朝、昼、夜と見える景色が違う。障子をあけると、外の自然が目に入る。障子を閉めると静寂の空間が広がる。障子に映る木々のゆらめきを見ていると、想像の世界に引き込まれていく。光が雲でさえぎられて木々の影が消え、また雲が過ぎると、木々の影が美しく映しだされる。
日本建築の中で、障子ほど優れた機能美を持ったものはないのでは・・・。夏の暑さ、湿気、冬の寒さ、乾燥、障子紙も生きているのだ。
幼い頃から障子を破ってはいけないという暗黙の了解が成り立っていた。障子に穴を開けてしまった時、子供ながらに罪悪感に苛まれたものだ。そんな時、障子紙を桜の形に切って、穴の開いたところに貼ってくれたことを思い出す。年末になると恒例行事の障子の張替えが始まる。その時こそ、拳で思いっきり穴を開け、無言の抵抗をしたものだ。今思えばわらい話だ。
マンションに棲んで数十年になるが、障子のある生活が懐かしく思えてしまうのが悲しい。

10月21日

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菓子缶

お菓子の缶って、素敵なものは本当に美しいですね。私は、缶を集めるのが趣味なのですが、まずお菓子を見る前に、缶に一目惚れして買ってしまうのです。今でも大切にしている缶は、小さな金平糖のようなお菓子が入っていたもので、掌に入るぐらいの缶です。この小さくてまあるい缶には、19世紀ごろの可愛い女の子の顔が描かれているのです。思わずあまりの可愛さに缶を握りしめてしまいました。その缶には、あめ玉を一つ入れたり、ハンドクリームをいれたり、ときには指輪を入れてみたり、常に私といつも一緒です。ハンドバックの中から缶を取り出すときの優越感は、缶好きにしかわからない醍醐味です。ちょっとオーバーかな(笑)先日友人がくれたクッキーの缶がとてもかわいくて、クッキーを取り出して即宝石箱にしてしまいましたよ。
空いた缶に何を入れようかなと考える時が最高にうきうきする時です。今一番大切にしている缶はといえば、映画「アメリ」の缶です。この缶は映画が流行っている頃、予約注文して手に入れたものなのです。此の缶の中には、アメリに関するものがいっぱい入っているのです。アメリも映画のなかでホコリまみれの缶を探しだしたシーンがありましたよね。缶ってなんだか思い出の塊ですよね。私のたいせつな缶の中には、ぬりえ、クレヨン、ビーズの首飾り・・・とにかく思い出のたくさんつまった玉手箱です。お菓子を食べてしまって、後はポイなんて私には出来ません。私が生きている限り、引き出しの中で思い出を詰めたまま眠っています。再び開けられる日まで。

9月21日

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お月見

日本人にとって、月というのは感性に響くものである。昔から月を題材ににした芸術作品もたくさん作られている。闇の中に浮かぶ月は、人々を創作の中に引き入れていく。
子供が小さいころ、お月見になるとすすきを飾り、お団子を作り、秋の味覚と一緒にお盆にのせ飾ったものだ。子供も大きくなりお月見というイベントが、我が家からいつの間にか消えていってしまった。何だか寂しい。子供に幼稚園の時買い与えた絵本で、いわむらかずお作の「14ひきのおつきみ」という本がある。この本は、毎年十五夜の時期になると本箱から出てきて、すすきと一緒にならべられる。家族で読み返し、「おつきさんありがとう、たくさんのみのりをありがとう、やさしいひかりを ありがとう。」と、感謝の言葉を唱えおつきみをしたものだ。何だか私自身も純粋にお月様にありがとうと言っていたような気がする。毎日時間に追われて生活するのではなく、力をすこ~し抜いて月を眺めるぐらいの心の余裕がほしいな。虫の音に耳をかたむけながら、月の柔らかい光に包まれて秋の訪れを堪能してみたい。

8月22日

夏の臨時増刊号「旧友との邂逅」

今日は友人のグループ展を機に、大学の仲間が集合しました。皆変わらず元気に和気あいあいと、とりとめのない話で盛り上がりました。こういう時でもないと、なかなか皆が集まるということがないので、彼女には本当に感謝です。
彼女の作品は、優しさと強さが融合されていて若さを感じます。作品から刺激を受けて、何かやらねばという気持ちになります。さあ力を抜いて今の自分を表現してみよう。
 
今回の同時多発土石流で、広島在住の友人が気がかりだったのですが、幸いにも無事と伺い、一同胸をなでおろしました。何人かが集えば友を案じ、直ぐ昔の共有した時間に戻ります。これが、おでんを食べあった仲間なのです。
 
末筆ながら、この度の災害で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

8月18日

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夏のカクテル

ムードのあるバーで、カクテルを飲むなんておしゃれですよね。情けないけど私の今までの人生において、そういう場面にいたことは一回ぐらいかな。若い頃は、カクテルの味を楽しむなんてことはなく、ただ甘くて美味しいとグイグイ飲んだような記憶が・・・。カクテルは、いい大人の年齢になって、味わうというのが私にとっての正統かな。この歳になって初めて、カクテルの素敵さを番組で知ったようなわけですよ。カクテルといっても奥が深く、若いバーテンダーたちは、色々なカクテルを研究し続けている。一人のバーテンダーが、カクテルを作ることは、キャンバスに絵を描くようなものだと。色、形をみて、香りを感じ、味を楽しんでカクテルの世界観を堪能する。実に奥深い。試行錯誤を重ねた一杯のカクテルは、作品なのだ。ベテランのバーテンダーは、氷一つにもこだわりがある。こうなるともう職人技だとつくづく感じた。何でもそうだが、一つのこだわりというものが形や、味をつくりあげていくのだろう。深く追求していけば、どんなものでも世界観があるということだ。シェイクする音に耳を傾けて、一杯に込められた思いを一口一口あじわってほんのり酔ってみたい暑~い夏の夜ですね。

7月19日

アクロス福岡: 福岡市提供

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空中庭園

空中庭園と聞くと、未来の庭園かしらと思ってしまうが、今ビルの屋上にたくさんの木々が植えられ、地上と変わらない庭園、空中庭園が増えてきている。空中庭園は、仕事で疲れた心や体をリフレッシュさせてくれる唯一のオアシス。都会の近代的なビルと自然の共存は、これぞ私達が望んでいた空間なのではないだろうか。
地上から聞こえてくる雑踏の音が不思議な音色として耳に入ってくるだろうし、雑踏を歩き疲れた体には異空間で見る木々の緑、葉の匂い、木漏れ日、鳥の声が最高の清涼剤になるはずだ。
このビルに植えこまれた木々達は、多くの人々の手によって守られ続けていると言っても過言ではない。それでなくては空中庭園はなりたっていかないだろう。ビルとビルの谷間にある空中庭園で木漏れ日を感じながら下から流れてくる会話のメロディーを聞くのも有りだな。人工的に作られた庭園が何年か経ちビルの景色に変化をもたらしてくれることを楽しみに、沢山の都会の空中庭園を探して歩くのもいいかもしれない。

6月16日

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6月のはな

がさごそがさごそ きょうはわたしのばんかしら・・・
いやぼくのばんだよ。
でも、はながらさんがさきにおでかけよ!
じゃつぎはぼくだね。
そうね、あなたみたい。
きょうはどんなどらまがまっているのかしら。
かえってきたらおしえてね。
いってらっしゃい。
わたしのばんはまだみたいね・・・ふぅ。
あ、まわってきた!
それではしゅっぱつ~。
ざーざーざー、きもちがいいわ。
からだぜんたいにしゃわーをあびているようだわ。
きょうのまちはすてきななかまがたくさんはなをさかせているわ。
このきせつは、わたしたちにとってうきうきわくわくするきせつなのよ。
これが9がつになるとわたしたちいためつけられてたいへんなの。
ほねをおってにゅういんしたり、おなくなりになるなかまもいるのよ。
でもね、この6がつのあめは、さいこう。
きょうわたしは、あじさいをみにいくの。
わたしたちってあじさいにまけないくらいうつくしいわよ。
だってこのごろのなかまってみなおしゃれさんばかり。
こんにちは~よくふりますね.。
ほうとうにね。
いたっ!
ごめんなさい。
ううんいいのよ。
ぶつかりあってとうぜんよ。
がんばって!おたがいに!あしたは、はれかしら・・・
たいようさんのひかりをたくさんあびて、またつぎのあめまでひとねむりしましょ。
うふふ

5月21日

ファンタジー

先日、母の見舞いのため実家に戻った時、偶然ふるさとの美術館で「ロベール・ドアノー」の写真展が開催されていた。これはいい機会だと思い出かけてみた。
彼の作品は、何度か目にしたことはあったが、何度見ても面白い。
「パリ市庁舎前のキス」は、あまりにも有名すぎる作品だ。
初めてこの作品に出会った時は、ドラマチックな瞬間にはっとしたものだが、後に「演出作品」ということを耳にした。しかし、だとしてもあれだけ自然体にドラマを切り取ることが出来る目は素晴らしい。たとえ演出だとしても演出を感じさせないほどの流れを切り取る腕がやはりほんものなのでは。彼の作品の中で子どもたちを撮った写真が多く見られるが、見てる側を幸せにしてくれる。これこそわたしが必要としている写真像だ。子供たちの躍動感あふれるエネルギーを瞬間に切り取る目は鋭い。遊び心満載の写真で構成された写真絵本「1・2・3・4・5・遊びながら数えよう」は、自由な発想が飛び回り実に楽しい。思わず写真を見ながらにやにやしてしまった。
報道写真家という肩書を持つドアノーであるが、わたしはファンタジーに満ち溢れた彼の作品が一番好きだ。
寸暇の中での鑑賞ではあったが、現実逃避できた数時間であった。

4月21日

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日本のタイル

日本のタイルと言えば、まず思いつくのが銭湯のタイル。明治から大正にかけて、日本では青と白のタイルが流行った。私もこの青と白の組み合わせが大好きで、かなり意識して使ったりしている。ジャパニーズブルーと呼ばれ、愛知県の瀬戸市でタイル作りが始まった。やがて青を引き立たせるために茶色を使うことによって落ちついたタイルになっていった。大正期には凹凸のあるタイルが作られるようになった。私が唯一タイルに囲まれてほっとするところは、銀座ライオンの空間かもしれない・・・。懐かしい空間に浸れるのだ。ただそれだけなんだけれども、なんか昔を感じてしまう。この頃はお風呂場とかお手洗いにタイルを使う住宅が少なくなったような気がする。昔は、お風呂もモザイク調に床、壁そして湯船をタイルで飾っっていたような気がする。明治大正に建てられた旅館などでは、お手洗いの床壁は素敵なタイルで敷き詰められていた。代表的なタイルを使った住宅をご紹介しょう。・旧小西装三郎邸のお手洗いの床壁・旧岩崎小彌太別邸のイスラム風タイル・旧三河義行邸の浴室・旧新田長次郎邸のイスラム風タイルの玄関など、日本にはまだ素晴らしいタイルが残されているのだ。コストの問題とか技術の問題とかあるのかもしれないが、残していきたい美のタイルだ。

3月21日

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椿

毎日通る道に椿の木がある。この時季になるといつ咲くのかが気になりだす。今日見てみたがまだ固い蕾の状態だ。半分花を咲かせようと頑張っている椿をみつけ、思わず「もう少しだよ!頑張って」と、声を掛けたくなった。椿と言えば日本人に昔から親しまれてきた花の一つだ。万葉集でも詠まれ、江戸図屏風にも描かれている。しかし、椿の花は咲くまでが長いこと!せっかちの私にはイライラ感がつのる。(笑)この固い蕾からじょじょに花を咲かせると言うプロセスを楽しむのが椿の醍醐味だとわかってはいるのだが・・・。椿の決定的に悲しいのは満開の花のまま地上に落ちてしまうことだ。あまりに潔く咲き誇るままに落ちていく。それがみていて悲しく思うこともある。ポロッとおちた真っ赤な花が雨に打たれてアスファルトの道に張り付く様は見ていて悲しい。京都のお寺の苔の上に椿が落ちるさまはコントラストの美でこの上なく美しいらしい。一度と言わず、二度も美しさを見せてくれるつばきだ。お茶席では茶花の女王と呼ばれているとか。椿の花はゆっくり長く咲き、そして花が落ちる。落ちてからも美しさを見せてくれる。この春のはじめに咲く椿と向き合って春の訪れをのんびり感じるのも素敵な時間かもしれない。生命力の強さに圧倒されながらせっかちな性格の私が春を感じる今日このごろ。

2月16日

猪熊弦一郎画伯による原画

三越公式HP内「三越の包装紙」

三越デパートの包装紙

皆さんはご存知でしたか?三越デパートの包装紙が猪熊弦一郎の「華ひらく」と名づけられたデザインによるものだと。お恥ずかしい話ですが、私は全く知りませんでした。白い画面に単純な赤紫の形が並べてありますよね。言われてみてじっくり眺めてみるとコレが実に楽しい包装紙にみえてきました。身近にありすぎて意識してみたことがなかったのですが無限の楽しさをかんじます。この包み紙の中には何が入っているのかしらとワクワクです。猪熊が千葉の犬吠埼に出向き散策中に波に洗われる石を見てデザインしたそうです。余談ですがそれを担当したのが、当時三越宣伝部の社員で後に「アンパンマン」を世に送り出した漫画家のやなせたかしさんだそうです。
わたしは、猪熊の身近なものから自由に美を見つけ出して作品にしてしまう生き方が素敵だと思います。コルクであったり、勿論石であったり、卵のケースであったり、あらゆるものに命を吹き込んでくれるのです。彼の代表的な壁画で今も上野駅の中央改札口の真上に飾られている作品が私は大好きです。子供の頃から上野駅にというとあの壁画を思いだします 。しかし、悲しいことに一つ一つ何が描かれているのかが分かりませんでした。そうですよね。乗降客でごった返しているのにじーっと壁画を見る余裕はありませんよね。犬がいる、人がいるこんな程度でした。でも全体としてみると心がほっとするのです。集団就職で東北から降り立った人たちもこの絵をみるときっとほっとしたのではないでしょうか。これからもこの中央改札口を通るたびに猪熊弦一郎の壁画に和ませてもらいたいです。今は主役が東京駅に移ってしまったのがちと悲しいけれど。上野駅だって健在です!北の玄関口とまで言われていたのですから。その象徴として猪熊弦一郎の作品はここを通る人々を見守り続けていくことでしょう。

1月16日

映画マリー・アントワネット

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映画のなかのスイーツたち

2014年も宜しくお願いいたします。
1月10日のグレーテルのかまどでは、「キラリ、映画を彩るスィーツたち」と題して放送していました。映画の中ではよく食べるシーンが出てきますが、特に甘いお菓子に関しては記憶に残っているものです。番組ではいくつか映画が紹介されていました。「クレイマー・クレイマー」のフレンチトースト、「ゴットファーザー」のカンノーリ、「ゴーストバスター」のマシュマロ、その他何作か紹介されていました。私が観た映画の中で印象に残るスィーツといえば、「アメリ」のクレームブリュレ。表面を焦がしスプーンでポンと割って食べるシーンが大好きです。「ショコラ」という映画の中では、人々がチョコレートを食べて心が穏やかになっていく。「ローマの休日」では、オードリィがジェラードを頬張る姿が可愛らしかったですね。日本の映画では、「かもめ食堂」の中で作られるシナモンロールは、画面からシナモンの香ばしい香りが漂ってきそうでした。ここまでは、スィーツが心を穏やかにしてくれたのですが、「火垂るの墓」のスィーツは悲しみと切なさ感じさせてくれました。主人公の妹せつこは戦時中食べ物がない中、缶に入ったドロップを大切になめていました。空っぽになったドロップの缶に水を入れ飲むシーンがあります。その時せつこは色々な味がすると・・・。スィーツがこんなに悲しく感じたことはありませんでした。スィーツは、子供にとっても大人にとっても幸せをもたらしてくれる食べ物ですよね。でも時には、悲しい素材として使われてしまうこともあるのです。スィーツにまつわる映画ということでくだくだ書いてしまいましたが、基本スィーツは癒しの時間をもたらしてくれるものでなくてはだめで、ハッピーでなくては駄目なのです。喉が乾燥してきました。ドロップをなめて小休止しますわ。うーん、なかなかハッカ味が出てこない~!カランカラン・・・